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ハンガリーの名窯・ヘレンドの初期から現在にいたる軌跡をおう「ヘレンド展 ― 皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯 ―」展


オーストリア皇后エリザベートや、イギリスのビクトリア女王など、数多くの王侯貴族たちに愛好されたハンガリーの名窯・ヘレンド。マイセンやセーブルと並ぶ高級磁器窯として今もよく知られている。そのヘレンドの初期から現代にいたるまでの190年の歩みをひもとく展覧会がパナソニック汐留ミュージアムで開催されている。ブダペスト国立工芸美術館やハンガリー国立博物館などの所蔵品を中心に日本初公開も含め約230点の展示となる。

展覧会は全7章の構成。以下、章毎に作品を見ていこう。

第1章 ヘレンド磁器製作所の黎明期

《色絵朝顔文皿》1841年 ブダペスト国立工芸美術館

今では磁器窯として著名なヘレンドだが、その前身は1826年にヴィンツェ・シュティングルが創設したクリームウェアの製陶所。クリームウェアは磁器以前にヨーロッパで大量生産されたやさしい乳白色の陶器。ただし割れやすいため現存するものはかなり数が少ない。《色絵朝顔文皿》は、そうした条件下で現存するヘレンド製のクリームウェアとして貴重。

第2章 モール・フィシェル時代

左:《藍地色絵金彩人物図透彫皿》1870年頃 ブダペスト国立工芸美術館

右:《色絵花束文木葉形皿》1857年 ブダペスト国立工芸美術館

ヘレンド磁器製作所の全盛期と言える時代。磁器は欠損するため、たとえばティーセットなどでカップが一つ割れると、それを補充する必要性があった。ヘレンドはそうした欠損したものを忠実に再現する技術を高めることで、多くの貴族たちを顧客としていった。これは同時に、いわゆる模写により、他の名工の技を自身の製作に取り入れ独自の展開へとつなぐ重要な仕事だったと考えることができるだろう。そうした技術の獲得と独自性を備えたヘレンド磁器製作所は、1851年にはロンドンで行われた第一回万国博覧会に出品。大きなフィッシュ皿やディナーセットなど、様々な製品を展示し、来場者の注目を浴びた。

《色絵金彩「皇帝」文コーヒーセット》1860年頃 ブダペスト国立工芸美術館

エステルハージ、中国の吉祥文のひとつである蘭をモチーフにした一連の作品

今回の展覧会にはシノワズリーにも焦点が当てられている。ここでいうシノワズリーとは東洋趣味的なものを取り入れた作品のことで、モール・フィシェルの時代には東洋磁器を手本に数々の作品が製作された。虫を文様として取り入れたり、清朝風な鮮やかな色彩の絵付などを忠実にならいつつ、どこかユーモラスで暖かみのある造形に仕上げている。

第3章 モール・フィシェルの息子たちの経営になるヘレンド磁器製作所

左:《「トロンプ・ルイユ」花卉果実飾り皿》1887年か 

右:《色絵花束文花綵飾りセンターピース》1880年頃 ブダペスト国立工芸美術館

モール・フィシェルの息子たちが事業を引継ぎ、新しい技術を目指した時代。「トロンプ・ルイユ」のように徹底した写実表現を用いて、本物とみまがうような作品を作り出している。

左:《藍地金彩「ウェールズ」文碗》1880年代 ブダペスト国立工芸美術館

右:《藍地金彩唐草文コーヒーセット》1890年頃 ブダペスト国立工芸美術館

またヘレンドの特徴的な技術のひとつである金彩の技術をさらに高め、金を厚く塗りながら、それでいて繊細に仕上げる技術も飛躍的に発展した。

左:《色絵金彩「京都」文獅子飾り蓋壺》1890年頃 ブダペスト国立工芸美術館

右:《色絵金彩花鳥文獅子飾り蓋》

息子たちの時代にもシノワズリーのイメージをもつ作品が数多く存在する。日本の有田焼や伊万里焼を手本としたような造形も盛んに作られた。ただ精巧にうつしながらも、細部のたとえば蓋の上にのる狛犬の口など、本来であれば阿吽として一つは口を開き、もう一方は口を閉じるはずが、両方とも口を開けていたりもする。逆にそれが愛嬌というか、可愛らしい雰囲気としてヘレンド磁器のやわらかな雰囲気とよく調和しているのも面白い。

第4章 イエネー・ファルカシェハージ・フィシェル時代

《色絵金彩花卉文獅子飾り蓋八角壺》1890年頃 ※世界初公開

モール・フィシェルの孫にあたるイエネー・ファルカシュハージが率いた時代。イエネーは経営者であるとともに、自身も重要な制作者として知られ、技の革新に力を尽くした。柿右衛門様式を踏襲した大作はイエネー時代を代表する作品のひとつ。

左:《色絵金彩「ハンガリアン・ナショナル」文皿》1896年頃

右:《色絵金彩「ハンガリアン・ナショナル」文カップ・受け皿》1896年頃 ブダペスト国立工芸美術館

「ハンガリアン・ナショナル」文様はハンガリー建国1000年祭のために新しいハンガリーの国民性を示すモチーフとして新たに作られた文様。

左:《流し釉瓶》1900〜1901年 ブダペスト国立工芸美術館

右:《茶粉釉六角形瓶》1901年 ブダペスト国立工芸美術館

ヘレンドにはこれまでにない技法として、新たに釉薬を流して文様を描く「流し釉」の技法も取り入れられるようになった。イエネーはその名手とも言われている。この時期はちょうどヨーロッパでアール・ヌーボー様式が隆盛を極めた時にあたる。ハンガリーにおけるアール・ヌーボーの受容を考える意味でも、流し釉のこういった作品は重要な意味がある。

第5章 ジュラ・グルデンの時代

左:《トポルツの聖母》カタ・ガーチェル 1944年 ブダペスト国立工芸美術館

中央:《イエス・キリスト 》ヤーノシュ・ホルヴァイ 1930年以降 ブダペスト国立工芸美術館

右:《日光浴をする女性》1943年 

ちょうど二つの世界大戦の間の時期と重なる時代。この頃、ヘレンド窯はアーティストとしてデザイナーの名前を前面に出し、美術品としての価値を積極的に高めていく。磁器による人形が盛んに制作されたのもこの時代。《トポルツの聖母》は中世の木彫をうつしたもの。この頃には釉薬を使わない穏やかな光をもつ表現なども試された。

第6章 国有化された磁器製作所

《「第二次世界大戦終結10周年記念」ティーセット》マーチャーシュ・ラーコシ夫人 

1955年 ブダペスト国立工芸美術館

王侯貴族といったセレブ達のためのものから一般市民の製品へということで、大量生産的な形が求められるようになった時代。ヘレンド窯もその影響を受けざるをえなかった。しかし、共産党党首の妻であるマーチャーシュ・ラーコシ夫人がヘレンド窯のデザイナーをつとめたことで、実用性を重んじるだけでなく芸術性の高いものが必要との意識があらためてヘレンド窯にもたらされ、もともとのヘレンド窯の高い芸術性をいかした新しい造形が生まれるようになった。

第7章 新たな挑戦

《酒器「夏の静物画—家族」》ゾルターン・タカーチ 2002年 ブダペスト国立工芸美術館

現代の作家たちが生み出すヘレンド窯の作品。絵付けの美しさ、精緻さだけではなく、自在に土を扱い、絵付けがなくてもその陰影の表情で美しさを目指す作品など、現代の磁器表現を牽引する作品が生まれている。ゾルターン・タカーチは日本の美濃で開かれた陶磁器コンペで同賞を受賞した作家。民芸の水瓶制作技法を磁器に応用したような無定型の食器制作技術は、ヘレンド窯における現代の新たな方向性を示すひとつの作例として興味深い。

会場:パナソニック汐留ミュージアム

会期:2018年1月13日(土)~3月21日(水) 開館時間:10時〜18時(入館は17時30分まで) 休館日:水曜日 ※3月21日は開館 入館料:一般:1000円、65歳以上:900円、大学生:700円、中・高校生:500円 小学生以下無料  主催:パナソニック 汐留ミュージアム、読売新聞社、美術館連絡協議会 後援:駐日ハンガリー大使館、港区教育委員会 協賛:ライオン、大日本印刷、 損保ジャパン日本興亜 協力:Lufthansa Cargo AG 企画協力:アートインプレッション 告知・催事協力:ヘレンド日本総代理店 星商事株式会社

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