山陰に数多くの名建築を残した建築家・菊竹清訓をテーマとした企画展が島根県立美術館で開催中
《島根県立美術館》(1998)や《出雲大社庁の舎》(1963)、自邸《スカイハウス》(1958)など優れた建築を数多く残し、建築運動「メタボリズム」を代表する建築家の一人として国際的にも評価が高い菊竹清訓。没後10年を記念して、島根県立美術館で「菊竹清訓 山陰と建築」が開催されている。
同展では菊竹清訓による山陰の建築を中心に、加えて、代表的な作品や、生涯を通じて取り組んだ未来都市の構想を紹介し、図面、スケッチ、模型などから菊竹建築の魅力をひもといている。
若くして自身の設計事務所を設立した菊竹清訓は、同郷のブリヂストンタイヤの創業者・石橋正二郎から、木造建築の改築の仕事を数多く依頼された。その「解体」「組み立て」の作業は、菊竹に日本建築の「更新」という概念を見いださせていく。また正方形のワンルームを、4つのコンクリートの壁柱で持ち上げた自邸《スカイハウス》により、戦後のモダニズム建築の旗手として注目を集めることになった。
1960年になると、建築評論家の川添登が建築家の菊竹清訓、大高正人、黒川紀章、槇文彦、グラフィックデザイナーの粟津潔、インダストリアルデザイナーの榮久庵憲司を召集し、メタボリズム・グループを結成。同年に東京で開催された「世界デザイン会議」において「メタボリズム」を提唱し、新しい都市と建築を提案した。《塔状都市》、《海上都市》から始まる未来都市の構想は、その後、菊竹が生涯にわたりとり組んでいくことになった。
島根県松江市に博物館を建設する計画を進めていた第23代田部長右衛門は、久留米市の《石橋美術館》を視察し、博物館の設計を菊竹に依頼することを決意。その後、知事となった田部長右衛門により、菊竹は島根で多くの建築を設計した。
《出雲大社庁の舎》の設計を手がけた1960年頃から、設計とは何かという問題に直面した菊竹は、独自の方法論を構築し始める。「か・かた・かたち」の三段階の設計理論を展開した菊竹は、自信を持って1963年の「国立京都国際会館設計競技」に臨んだ。菊竹の応募案が実現されることはなかったが、この方法論によって、生涯、数多くの作品を生み出し、《東京都江戸東京博物館》(1992)や《九州国立博物館》(2004)といった大作も実現した。
同展は菊竹建築の魅力を自身が設計した島根県立美術館を会場に堪能できるとともに、あわせて戦後日本の建築運動の動きに触れることもできる貴重な機会となっている。
会 期 2021年1月22日(金)~3月22日(月)火曜休館(ただし2月23日は開館)
会 場 島根県立美術館 企画展示室
時 間 〔1月、2月〕10:00~18:30〔3月〕10:00~日没後30分
(展示室への入場は閉館時刻の30分前まで)
観覧料 日時指定入場券 一般:600円 大学生:400円 小中高生無料
当日定員に空きがある場合は日時指定当日券を販売する。
日時指定当日券 一般:650円 大学生:400円 小中高生無料
(いずれもコレクション展観覧料を含む)
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